2011年3月20日日曜日

あれから10日


東北関東大震災から10日になろうとしている。


改めて書くことではないかもしれないけど、自分が住む湘南の家では花瓶が倒れた程度で、
群馬の実家は2Fがメチャクチャになったみたいだが、何よりも家族は全員無事だった。


10日たった今、自分が生活している地域でも計画停電や買い占め騒動、ガソリンの枯渇などをはじめ、日常が戻るにはまだ多くの時間がかかることは火を見るよりも明らかではある。

がしかし、周知のとおり、東北地方の被害たるや、言葉にならない無惨なものである。

自分の身近な話、福島に住む友人達も例の原発の被害で遠く避難を余儀なくされている者もいて、また岩手出身の友人は家族の安否すら不明だ。


3月11日は本当ならば我がDUNCETERIAの日だった。


震災の直後に、嬉しく、そして頼もしく感じたのは、当日、OATHなど複数のクラブが、震災当日、都内の機能停止した交通網により、帰宅難民となった人達の避難場所として店を提供していたこと、
そして各地で義援金を募ったチャリティーイベントの開催がいくつも見られるようになってきたこと。


自分は何ができるだろうといつも考えている。


東京のパーティで、DJをすることで、皆で元気を出して復興の応援をしていこうと唱える人達も多く出てきた。

正直、そのような意見には賛成だが、果たして自分はどのようなDJができるだろうか。
いつも考えていた。単に無事だった東京で、パーティをやることに抵抗すらあった。

ツイッター等で、「毎日シリアスに過ごしていると、自分がもたないから、楽しく過ごそう」的な意見も多く目にした。実際そうだと思う、不謹慎だと指摘し合ってだけでは、日常を戻せない。それは産業を復旧させられなく、すなわち被災地への支援すらできなくなってしまうだろうから。もっともだと思った。

でも俺にはそんな心境をネットで吐露するのは抵抗があった。
家を失った人、家族を、恋人を、友達を失った人、放射能の脅威の支配下に置かれている人、また命がけで被害を阻止しようと頑張っている人などの事を案ずると、被害の少なかった地域で1週間程度経った自分が弱音を無差別にぶちまけるようで、それは出来ないと思った。

でも、少なくとも無事だった人間として、前を向いて歩いていかなければいけないなと思ってる。


俺は音楽を通じて多くの友と出会い、そして自分が成長でき、助けられてきた。
音楽に救われたし、常に音楽と共にあった。

それは人生で本当に大きなものだし、何にも代え難いことだ。

音楽の力は偉大であり、俺はその力を信じている。



まだまだ復興には多くの時間がかかる。

そして街の復興には多くの費用もかかる。


しかし、人の心は、時間やお金では、復興し得ない部分だってあると思う。


俺はそんな時、音楽に委ねたいと思ってるし、音楽を信じてる。

音楽は自由で、音楽は永遠で、音楽は無限だ。


だからいろいろ迷ったけど、やっぱりパーティでDJがやりたい。

俺みたいなDJが、どこまで人と共有し、元気に、勇気づけることができるのか
それは本当に微々たるものなのかもしれないけれど

いつもパーティに集まってくれる人達や
今まで自分が歩んできたプライドをもち

やっぱり俺は俺の音楽を鳴らそうって思ってきてる。



いつもDJで使う曲とかを購入している、beatportが、日本時間3月21日の16時からの24時間分の売上を、全額日本へ寄付してくれるとのことだ。


今は復興のため、具体的な物資や資金の援助が必要な中、自分で購入した楽曲の売上がすべて義援金になるなんて、本当に嬉しいことだし、積極的に協力したいと思う。

そして、購入した楽曲は、DJで大切にプレイできたらなと思ってる。

この震災で痛めた傷や、残った皆で努力を続けたこと、それら全てを一生忘れないものにするように、音楽として手元に持っておけるから。



ユーザの方、是非この機会を利用してください。



今回のブログは、話題が話題だし、読んでくれたのに、異見を感じたり、もしかしたら俺の至らない部分で気分を損ねてしまうこともあるかもしれません。自分でも大きなことを言う立場でも、またそういう時期でもないと思ってるけど、とにかく一人でも多くの無事を祈り、また一日も早く復興していく様、自分の置かれた立場で精一杯生きて、少しでも力になっていこうと、俺は思い、書かせてもらいました。一種の流行みたいに、「最初だけ」みたいな事だけじゃなく、被災した人々を想いつつ、前を向いて頑張ろうと思う。

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